ル・モーンの文化的景観

ル・モーンの文化的景観
ル・モーンの文化的景観
モーリシャス
登録年: 2008| 登録基準: (iii)(vi)
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18世紀から19世紀初頭にかけ、東方奴隷貿易の中継地だったモーリシャスは、多くの逃亡奴隷マルーンが住み着いたことから「マルーン共和国」と呼ばれていた。モーリシャス南西部、インド洋に突き出した半島にそびえる険しい岩山、ル・モーンも、奴隷が隠れ場所として利用していた。 孤立した岩山の周囲は深い森に覆われ、奴隷たちは人を寄せ付けない環境下で、洞窟や山頂に小さな集落を作って集団生活を営んだ。現在も、こうした彼らの生活の後が見られるル・モ-ンは、自由を求めた奴隷の戦いと苦しみ、犠牲の象徴となっており、奴隷の出身地であるアフリカ本土、マダガスカル、インドや東南アジアとの関連も見られる。
Source: NFUAJ